挺身隊の思い出
ばーやんが先の戦争で挺身隊に行ったときの話を聞いたもの。
出発
昭和19(1944)年11月26日。
覚悟のお酒を盃で頂いた。
氏神様で壮行会があった。
別れを惜しむとともに、お祝いでもあった。
召されるから名誉なことだった。
数え年で20歳(満年齢で19歳)のときだった。
勤労奉仕
愛知県の知多半島にある飛行機の部品を作る工場で働いた。
24時間の3交代勤務。1:00〜8:00のシフト。
夜間はB29の空襲が来ると、宿舎から出て田のあぜで寝た。
サーチライトが伸び、高射砲を撃っているが、なかなか当たらない。
いもちょっと、いもすこし、などといいながら夜空を見上げていた。
終戦そして帰還
デマが流れていた。
「どこそこから来ている人は気の毒だ。歩いて帰らなくちゃいけない」
「女の人はみんな兵隊に連れて行かれる」等
実際には証明書をもらって駅に出せば切符がもらえた。
汽車は満員で立ち通しだった。
なんとか家に帰ることができた。
食糧事情
勤労奉仕中は、じゃが芋やさつまい入りのご飯なら特上。
赤いご飯が出て赤飯かと思ったらコーリャンと豆かすが入っていた。
食べられないので台の下にこぼして残りのお米を食べた。
どんぶりが2つ出て、中身はおかゆ。米粒は数えられるくらいのわずかな量だった。
カビたような食パンが出たこともあったがつけるものがない。
おかずは、ふきの葉、いなご等あればよい方。きくいもの煮たのも出た。
家から仕送りの餅、味噌なども食べた。
農家にさつまいもを買いにいったこともあった。
(戦争が終わって)家に帰ったらお百姓なのでお米はある。
いいお米を食べたら下痢が止まらなくなった。
なけなしのお酒をもらって止まった。